コロナ禍に私が一時帰国を決めた理由。
私が日本に帰国したいなぁと思い始めたのは、新型コロナウィルスパンデミックが起こる数ヶ月前。
その頃は春辺りにしたいなぁなどと考えていましたが、正にその3月にロックダウンに突入し、世界がこんな大変な目に遭い、旅行がままならない世の中になるなんて予想だにもしていませんでした。
帰国したかった理由は、両親が共に施設生活になり、空き家になってしまった実家を片付けたかったからです。
両親の近くに住む姉はフルタイムで働いている上に、両親のあれこれ全ての世話をしてくれていて、実家の片付けなど出来る状況ではなく、遠くに住む兄は父との折り合いが悪く殆ど実家に近寄らない状況。
遠くに居るからとあまり協力出来ていない事にずっと罪悪感を感じていた為、この度一念発起して帰国を決めました。
ネットを見ていると、海外からの帰国者に対して『何故こんな時に帰国してくるんだ?帰って来るな!』と、強い嫌悪感を示す方も多く見受けられたので、私も友達や近所の方からどう思われるかと少し心配をしていました。
皆さん日々一生懸命に蔓延防止に努めてらっしゃるので、私も迷惑を掛けない様に、実家にはひっそりと帰省し、特別に会いたい人だけに会えればいいかなと思っていました。
ところが、帰国を決めて暫くした7月頃、父の具合が悪くなった知らせを受け、更には帰国する1週間程前にはかなり危ない状態となり、最後に一目会えるかなぁと僅かな希望を胸に日本入りしたものの、日本に到着して数時間後、姉から父が息を引き取ったとの知らせを受ける事になりました。
そんな事があり、静かに実家へ帰省するつもりだったのですが、何も知らなかったご近所さんや友人、知人にも私が帰って来る事がバレてしまいました。
いつも空港へ迎えに来てくれていた父。
空港には私を歓迎してくれる人は誰もおらず、レンタカーで実家へ向かい、誰もいない静かな家に入る。
隔離ホテルでも涙したのですが、実家に帰り一気に色んな物が込み上げてきて大号泣😭😭😭。
良いも悪いも父の沢山の思い出が詰まった家で、彼にもう二度と会えないんだと思うと涙が止まりませんでした。
その晩は独りで、持参したウィスキーで父への感謝と、彼の人生へ祝杯を挙げました。
(次の日は顔がエライこっちゃになっていて、お酒呑みながら泣くのは二度としないぞと思った次第です😅。)
父の晩年は全く幸せではなく、姉はじめご近所にも数々の迷惑を掛けまくっていました。
特に姉は、自宅や付き添って行った病院や、はたまた姉の職場にも押し掛けて来た父から酷い罵声を浴びせられたりして、父に心底ウンザリしていました。
私も前回帰省した際に、運転免許証を返納させる為に言い争いになり、最後には父に怒鳴り散らされ、頑固な父に呆れ果てました。
ここ数年は、とにかく嫌な事しかなく、正直言うと早くどうにかなっちゃえばいいのにと思う事もしばしばでした。
父との良い思い出が、こうした晩年の酷い行動で掻き消されていく様で悲しく感じたものでした。
でも、実際に父が他界してしまうと、良い思い出もそんな酷い悪い思い出も全て大事に思える自分がいて、とてもホッとしました。
電話で話す度に、沢山嫌な思いをし、クソ親父大っ嫌いっ‼︎と愚痴を言いまくっていた姉でさえも、父の死後、数々の酷い出来事を笑って話せる様になっていました。
「俺は100まで生きるぞ!」と豪語していた昭和の超頑固オヤジの父でしたが、86で静かに人生の幕を閉じる事になりました。
貧乏ながらも借金をする事なく三人の子供をその巣立ちまで養った事をいつも誇りにしていた父に心から感謝🙏。
お父さん、本当に本当に本当にありがとう🙏‼︎
Rest In Peace.